私の部屋の本棚には、敬愛する作家のファイルが立て掛けてあります。例えば、アルフォンス イノウエさん、坂東壯一さん、林由紀子さんはもとより、柄澤齊さん、蒲地清爾さん、杉本一文さん、戸村茂樹さんなどです。それらの中に渡邉幹夫さんの厚いファイルも含まれています。
渡邉さんと初めて会った1988年から現在に至るまでのもろもろの資料がそこに入っています。例えば国内で開かれた展覧会のDM、展覧会会場やパリなどで撮影した写真、届いた季節の挨拶状などです。このファイルをめくってゆくと、これまでの30年を超える渡邉さんとの時間を思い出すことができます。
私が渡邉さんと初めて会ったのは1988年5月のことでした。何気なく入った京橋の画廊で彼の個展が開かれていました。裸婦をテーマとしたメゾティントの作品が展示されていて、作家を囲んで数人の客が歓談していました。その人が作家だとわかったのは、ひげを生やしたその風貌からです。話をしていた人たちは、彼の昔の友人たちでした。
メゾティント作品が好きな私は、展示されている作品をじっくり見て回りました。版画という二次元の世界からまるで三次元のような裸婦の身体が漆黒の背景から飛び出してくるような錯覚をお覚えました。そうです、彫刻のトルソーのような感じです。自分の気持ちがざわついてくるのを抑えることができませんでした。メゾティント作品を見てこのような気持ちになることは今までほとんどありませんでした。気持ちが収まるのを待って渡邉さんと少し話をしました。横浜生まれでフランスで作家活動をしていることを知りました。翌年フランスから年賀状が届きました。そして日本で開催される展覧会の案内状もその後届くようになりました。機会があれば必ず会場に足を運び、財布が許せば作品を購入するようになりました。加えて帰国の報が入ったら一緒に食事をすることも度々ありました。
2011年9月カミサンとフランスに行った折にはパリで共に会食し、ブルターニュ地方のPIERRICの自宅訪問を誘われ、行くことにしました。お訪ねしたらその地方の広い丘の上の古い遺跡や鬱蒼と茂る森の中の池の周りを一緒に散策しました。自宅前の道路の向こうに沢山のヤドリギを付けた樹木が見られ、とても印象的でした。アトリエ兼自宅は広い敷地にあり、2匹の大きな犬と小さなヒツジ数頭が庭を走り回っていました。ヒツジは草刈りをしなくてよいように飼っているとの事でした。その夜は奥様の手料理をごちそうになり、渡邉さんの知り合いの農家の宿に泊まり、翌日彼の運転でナントに行きました。ナントの印刷博物館で渡邉さんの作品集の出版打ち合わせがあったので同行したのです。そこは活版を中心とした印刷をやっており、古い印刷機器や製本道具などが所狭しと置かれていました。渡邉さんの打ち合わせの間、私たちは館内の資料を見学し、石版印刷のデモンストレーションをやったりしました。その後皆でナント城を見学し、広場で昼食を摂りながら歓談後、私たちは列車でパリに向かいました。
フランスから届く季節の便りには、メゾティントの作品が添えられています。そのテーマはチョウ、ハチ、トンボ、カゲロウ、アリ、カエル、トカゲなど小さな虫や小動物たちで、きっと渡邉さんの自宅周辺に生息しているだろう自然の生き物たちです。このような小動物を描くようになったのは2000年ころからで、その後小動物や魚、野菜などを対象とした作品が多くなっています。2015年には渡邉さんが描いた昆虫学者ジャン アンリ ファーブルの肖像画と昆虫類が、ファーブル没後100年を記念したフランス郵政公社発行の記念切手の図案に採用されています。
渡邉さんはこれまで画集をたくさん上梓されていますが、その中には友人の詩人や俳人とコラボレーションしたものがあります。私はそれらを数点所蔵していますが、いつかはルリユールして渡邉さんに見てもらいたいと思っていました。なぜならフランスはルリユールを教える機関がたくさんあり、その先駆的役割を果たしている国です。従って渡邉さんもたくさんの美しいルリユールをきっと目にしているはずですので、我が国にも素晴らしいルリユール製本家がいることを知って欲しいと思っているからです。
今回そのようなわけで藤井敬子さんに4冊の画集を預け、ルリユールしてもらうことにしたわけです。その内の3冊(内1冊はシェルケース)が完成し手元にありましたので、2022年3月に帰国されていた渡邉さんと新橋で会い、早速見てもらいました。渡邉さんは手にとって表紙をなでるようにしながらじっくり鑑賞しています。物も言わないでゆっくり時間を掛けてページをめくります。1冊見終わったら次の本を手に取り、また同じように時間を掛けて見ています。3冊目は俳句とメゾティントのコラボレーションの折本仕立てで、裸本だったためにシェルケースを作ってもらったものです。これには渡邉さんと俳人の署名がなかったので、その場でしていただきましたが、俳人の署名は無いままです。全てを観終わった後に「う~ん、素晴らしいですね。自分の本がこのように美しく製本されているのを見るのはとても嬉しいし、大感激です。」と言っていただきました。私も大変嬉しかったことは言うに及びません。
渡邉さんはルリユ―ルはもちろんですが、蔵書票にも興味をお持ちですがこれまで1点だけ制作されています。その内私の蔵書票も制作しようとも言ってもらっていますが、今回制作途中の1点を頂戴しました。そこには紙を食べている2匹の紙魚と蜥蜴が配されたカラーメゾティントです。誰のための蔵書票か知りませんが、この票主には嫉妬を憶えてしまうほど素晴らしい出来です。渡邉さんはこれから友人の展覧会を見るために岡山に行き、帰路吉野山の桜を見てフランスに帰るとのことで、私たちは次の再会を約束して別れました。
藤井敬子さんの今回のルリユールするに当たっての考えは、以下のとおりです。
それぞれの本の詩や俳句についてはフランス語だったこともあり、Google訳で読んでみましたが、それぞれ印象に残った言葉と渡邉さんの絵からイメージして色や形を決めました。4点の渡邉幹夫さんの本は、水平線を共通テーマとしてデザインしています。
“Mon floriège ma dévorée”は直線だけで構成すること。
“Hidden from moon light”は曲線だけでデザイン、開くと一面の絵になるようにオープン背構造の仕立てにしました。
折本仕立ての俳句集の函は、版画とちょっと違うのですが、その表紙から水の流れをイメージして表紙の図案とペーストペーパーを作成しました。
Ⅵ-16.Mon floriège ma dévorée
原本書誌
・著者 版画:Mikio WATANABE / Emmanuel DAMON
・発行:AI Manar 2011/7
・edition:30/40
ルリユール
・製本:綴じつけ製本 5本の麻紐支持体、麻糸綴じ
・デコール:仔牛革、山羊革によるオンレイ、インレイモザイク
・見返し:オリジナルペーストペーパー
・タイトル箔押し:本金箔押し (大家利夫)
・花ぎれ:絹糸4色、三段編み
・サイズ:H252×256.5×D18mm
シェルケース
・クロス、山羊革、人工スウェード
・サイズ:H266×268×D28mm
・制作年:2021年3月
Ⅵ-17.Hidden from moon light
原本書誌
・著者 版画:Mikio WATANABE
・俳句:Victor ORTIZ
・フランス語訳:Jackie MARTINE
・発行:The Musee de L’imprimerie de Nantes 2012
・edition:XXVII/XXX
ルリユール
・製本:オープン背構造ルリユール 仔牛革支持体、麻糸綴じ
・デコール:仔牛革、山羊革によるオンレイ、インレイモザイク
・見返し:オリジナルペーストペーパー
・タイトル:箔押し (大家利夫)
・サイズ:H246×248×D24mm
シェルケース
・クロス、仔牛革、人工スウェード
・サイズ:H269×265×D36mm
・制作年:2021年6月
Ⅵ-18 Rippling Fragrance
原本書誌
・著者 版画:Mikio WATANABE
・俳句:Victor ORTIZ
・印刷:Musée de I’mprimarie du Nantes
・発行:2015年
・製本:Jeanne Frére
・edition:A.P.III/III
シェルケース
・仔牛革、オリジナルペーストペーパー
・H249×284×D35mm
・制作年:2021年10月
Ⅵ-19 LE REVERS DU MONDE
原本書誌
・版画・写真:Mikio WATANABE
・詩:Shiham Bouhlal
・発行:AL MANAR / Alain Gorius
・印刷:La S.A.I.G. a L’Hay-les-Roses 2013/11
・edition:25/30
ルリユール
・製本:綴じつけ製本 5本 麻支持体
・デコール:仔牛革、山羊革によるオンレイ、インレイモザイク
・見返し:オリジナルペーストペーパー
・タイトル:箔押し (大家利夫)
・サイズ:H292×220×D17mm
シェルケース
・クロス、仔牛革、人工スウェード
・サイズ:H316×248×D32mm
・制作年:2022年10月