第31回蔵書票世界大会に出席するために、私は2006年8月18日に成田を発ちました。
会場は、スイスのレマン湖に面するニヨンですが、ニヨンに行く前に蔵書票作家と会うためにプラハに立ち寄りました。プラハの旧市街に宿泊し、Josef Dudek、Jiri Brazda、Marina Richterova、Vladimir Suhanek のアトリエを訪ねました。皆さんからは大歓迎を受け、作品を頂戴したり、新たな蔵書票を予約したりして素敵な時間を過ごしました。直接作家と触れ合った夢のような数日が過ぎ、いよいよニヨンへとプラハを発ちました。

世界大会は22日から始まりました。メイン会場では各国の蔵書票愛好家と作家が蔵書票の交換と作品の販売に余念がありません。私も持参した蔵書票を手にしながら、これは、と思われる愛好家に近寄り「交換しませんか?」と話しかけ、お互い持参の蔵書票を見せ合いながら交換をしました。このような方法でたくさんの愛好家との交換で、素晴らしい蔵書票がたくさん集まりました。それとまだ会ったこともなかった作家と直接交渉で蔵書票制作をお願いしたり作品を購入したりと、素敵な時間は瞬く間に過ぎてゆきます。主催者は参加者を飽きさせないためのおもてなしを色々企画しており、遊覧船でのレマン湖巡り、博物館訪問、ニヨン城などの市内観光などなど。それと毎晩ウエルカムパーティがあり、多くの人たちが会場のあちこちで交歓しあっていました。少し酔った人たちが手に手にお酒を抱えて、パーティ会場から夜のニヨン城へと繰り出し、真夏とはいえ気持ちのよい夜風に吹かれながら、愉しい歓談の余韻に浸っていました。そのような会場で、私はドイツのナタリーとラトビアのナターリアと知り合いました。ナタリーはコレクターでナターリアは作家です。二人な名前が似ていることもあり、いつも一緒に行動している仲の良い友人です。もちろん私はナタリーと蔵書票を交換し、ナターリアには新作を注文したのでした。このような素敵な大会も幕が下り、皆さんはそれぞれ自国へと帰ってゆきました。私も8月27日に帰国の途につきました。

それから4年後の2010年11月、ナタリーとナターリアが突然日本にやってきました。私たち日本の蔵書票愛好家は、二人の歓迎会を開いておもてなしをしたことは言うまでもありません。私も日本滞在10日間の内の一日をアテンドし、鎌倉と横浜のみなとみらい地区を案内しました。そのために20ページほどの英文ガイドブックを作成し、二人の観光に役立ててもらいました。

二人は10日間の日本観光を終え、台湾、香港・マカオ、中国の広州への次の旅先へと大阪から飛び立ってゆきました。

私たちが開いた歓迎会の席上で、二人の来日を記念して蔵書票を作ってくれるようにナターリアにお願いしていました。しばらくすると、彼女から見本刷りが届きました。「木の葉」というタイトルで植物の妖精フローラの周りに、歓迎会出席者のイニシャルが刻まれた色々な樹木の12枚の葉が舞っています。鳥居も描かれています。とても素敵な12人の票主の蔵書票が出来上がりました。ナターリアがこの蔵書票の制作中に東日本大震災が発生し、多くの犠牲者を出しました。ナターリアもとても心配し、私たちの安否を尋ねてきましたが、幸いにも我々のなかには被災者はいませんでした。彼女は少しでも被災者の役に立ちたいと、蔵書票の制作費代金を寄付したいと申し出てくれましたので、私が代理となって日本赤十字社に寄金しました。2011年3月下旬のことです。従ってこの蔵書票を見るたびに私は色々なことを思い出してしまいます。これはそのような蔵書票なのです。

Natalija Cernetsova (Latvia)/C3