私が蔵書票を知ったのは学生時代でしたから、かれこれ30年以上前になりますが、実物を初めて見たのは昭和53(1978)年10月、東京は銀座のミキモトホールで開かれていた日本書票協会主催の「現代日本の書票展」でのことでした。

日本の作家のものだけではなく、海外の多くの作品がきれいに額装されて、所狭しと壁に架けてあります。初めて見る銅版画、木版画等による小さい蔵書票は、とても可愛く素晴らしいもので、私はうっとりとして、しばらくその会場から出ることが出来ませんでした。それまでは本などに掲載されている蔵書票を断片的にしか見たことがありませんでしたが、実際の蔵書票は、モノクロームから多色のものまで、大きさははがき大から親指大までと様々なうえに、取上げられているテーマも多様で驚いてしまいました。なかには虫眼鏡がないと判らないような繊細な線で描かれている作品もあって、眼からうろこが落ちるような思いをしました。自分の自慢の本にこのように美しい蔵書票を貼っている人がいるかと思うと、羨ましくてたまりません。この時はどうすれば蔵書票を手に入れられるのかわかりませんでしたが、それから五年ほど経って、銀座の画廊で「銅版画蔵書票展」を開いていた岩佐なをさんを知り、私だけの蔵書票を初めて依頼しました。この年に生まれた長男のことを頭に浮かべて「少年をテーマに」とお願いしたところ、麦の穂の中に麦わら帽子をかぶった少年を配した蔵書票、しかも長男が生まれた「1983」の年号も入ったものを手にして、自票をやっと持てたんだという実感がじわ~りと湧いてきて、嬉しくて飛び上がってしまいました。その後、岩佐さんにはさらに二点作ってもらいました。

昭和38(1963)年、福岡で浪人生活をしていた私は、ある日中洲にある映画館にふらりと入りましたが、その時見た映画がその後の私の読書の幅を広くしてくれました。三年ほど前に東京で創設された日本アート シアター ギルド配給による、マイケル カコヤニス監督、イレーネ パパス主演の「エレクトラ」というエウリーピデース原作のギリシア悲劇でした。神によって翻弄されながらも自分の意志を貫き通そうともがく人間の弱さ、それを演ずるイレーネ パパスの姿を静謐なモノクロームのスクリーンに見た私は大いに感動、感激し、早速本屋で人文書院版『ギリシア悲劇全集』全三巻を購入し、受験勉強はそっちのけで読みふけりました。それから約40年後、かつての人文書院の本は友人にあげてしまい手元にはありませんが、私の本棚には『ギリシア・ローマ神話辞典』をはじめ、吉田敦彦著『プロメテウスとオイディプス』『オイディプスの謎』『ギリシア人の性と幻想』『ギリシァ神話と日本神話』、丹下和彦著『ギリシア悲劇研究序説』、ロバート グレイヴズ著『ギリシア神話』などが、岩波書店版の『ギリシア悲劇全集』と共に並んでいます。

これらギリシア悲劇関連の本に貼る蔵書票を誰に依頼しようかと長年悩みました。この悩みの時期がまた実に楽しいのです。いろいろな蔵書票作家の作品をたくさん見て、本にマッチした蔵書票を作ってもらえそうな作家の情報を収集しました。まず依頼したのが、ラトヴィア在住のエレーナ アンティモノバさんです。彼女はギリシア神話・悲劇をテーマとした蔵書票を得意としており、私は平成二年の初め、彼女に初めて蔵書票制作依頼の手紙を出しました。

最初は「ヴィーナスの誕生」を、次は「エーレクトラー」と「オイディプース」をテーマに制作を依頼しました。「ヴィーナスの誕生」は鉛筆によるデッサン数枚と完成に至るまでの過程の版画まで送られてきました。「エーレクトラー」は、この一枚の作品にアイスキュロスの「オレステイア」三部作の結末を、十分に表現し尽くしている見事な作品。私はこの蔵書票を岩波書店版『ギリシア悲劇全集』の第1巻アイスキュロス1と第7巻エウリーピデース3に貼りました。「オイディプース」の時にもたくさんのデッサンが送られてきて、その中から一枚を選ぶのは大変むつかしいことでしたが、また楽しいひと時でもありました。最終的には若いオイディプースとスフィンクスの配置が決め手となり、「四角い画面の中で、少年オイディプースが右手を上げてスフィンクスの問いに答えている図柄」を選んでお願いしたのですが、どういう手違いか、届いたものは「丸い画面の中で壮年オイディプースがスフィンクスと問答している図柄」でした。

これはこれでとても気に入っているのですが、私の希望のものももう一度お願いしました。これは未だに完成していませんが、いつか出来上がってくるだろうと楽しみに待っています。この丸い蔵書票は全集の第3巻ソフォクレース1に貼っています。最初、エレーナさんに蔵書票制作を依頼した当時は、バルト三国がソヴィエト連邦から独立しようという、政情が大変不安定な時期でしたので、手紙が無事届くだろうか、途中、検閲などで手紙が開封されるのではと心配もし、日本で報道されているバルト三国に関する政治的内容については一切触れず、ただ蔵書票のことだけを書いて書留郵便で送りました。ところがエレーナさんはこのような心配にはまったく無頓着で、普通便で手紙や作品を郵送してきました。手元に無事届いた蔵書票を手にした時は、本当に感慨深かったことを思い出します。

ギリシア悲劇に関する本はほかにもあり、今度は神戸在住のアルフォンス・井上さんに「オイディプースとスフィンクス」をテーマとしたものを依頼しました。四種類の見本刷りが送られて来たのはそれから四、五年ほど経った頃でした。この中から気に入ったのを選ぶようにという指示でしたが、それは無理な注文に思えました。四種ともあまりに素晴らしい作品なので、何日かかっても一つには絞れなかったのです。結局四種全部を自票にすることとしました。その後、間を置いて三種の完成品が送られてきましたが、よく見ると見本刷り後にさらにアルフォンスさんが版に手を入れているのが判り、とても素晴らしい作品となっていました。ただ、中の一つは私の名前の「S.EZOE」が「K.EZOE」となっていましたので、修正したものを再度送っていただくことになっています。「K.EZOE」は偶然、私の弟の名前と同じでしたので、彼に提供したところ大変喜んでくれました。残りの一種の出来上がりがいつになるかは、アルフォンスさんにしか判りません。今も銅の原版に手を加えているアルフォンスさんの姿が目に浮かびます。

出来上がった蔵書票は、その他のギリシア悲劇関係の本にしっかりと貼られています。貼られている本の内容と良く溶けあって、お互いの存在価値を高めており、私の蔵書の中で格別の光を放っています。

このように、蔵書票はそれが持っている本来の目的のために用いることが、大切ではないかと私は思います。もちろん同好の志と交換するのはとても楽しいことではありますが。小川国夫さんの本には坂東壮一さんの、辻征夫さんの詩集には辻憲さんの、藤枝静男さんの本には佐藤暢男さんの蔵書票を、車谷長吉さんの本には……、林京子さんの本には……、というように、私はこれからも好きな本に好きな作家の蔵書票を貼る楽しみを続けていこうと思っています。これが本好きで版画好きの私の最大の楽しみであり、一所懸命仕事をする活力の源でもあるのです。

江副 章之介
初出:『書物愛 蔵書票の世界』 日本書票協会 編著 平凡社 2002 掲載