蔵書票を貼りましょう

蔵書票を貼りましょう

私が蔵書票を知ったのは学生時代でしたから、かれこれ30年以上前になりますが、実物を初めて見たのは昭和53(1978)年10月、東京は銀座のミキモトホールで開かれていた日本書票協会主催の「現代日本の書票展」でのことでした。 (さらに…)

限定本創作の楽しみ

限定本創作の楽しみ

1995年春、小平市鷹の台駅前の松明堂ホールで、版画家の柄澤齊さんの著書『銀河の棺』刊行記念の木口木版画展が開かれ、4月29日には柄澤さんと詩人の渋沢孝輔さん、装丁家の高麗隆彦さんの3名による「詩・版画・装丁」と題した座談会が催されました。多くの人たちが興味深く座談会を聞いていましたが、私はこの会場で大家利夫さんに初めてお会いしました。

紹介してくださったのは武者統夫さんです。武者さんは当時蔵書票の世界に少し足を踏み入れておられましたが、本来は書物のほう、特に限定本に対する造詣の深い方で、以前から随分教えられることの多い、書物に関する私の先輩です。
座談会のあとのパーティもそこそこに、大家さんは初対面の私を自宅兼アトリエに連れて行ってくれました。そして大家さんの作品等を前にして、武者さんとともに限定本の装丁についていろいろな話をしてくださいました。もともと本が好きだった、というよりも本狂いだった私は、お二人の話を夢中になって聞いていましたが、目から鱗が落ちることが度々ありました。
その中で一番印象に残ったのが、「本は自分で作るものだ」という言葉です。「自分で作る」といっても、私は製本に関して勉強したこともないし知識もないので、できるわけがありません。これはどういうことだろう、とそれからしばらく考えました。そして自分なりに結論付けたのが、「自分で製本できなければ、自分の好きな本の製本を企画して、専門家に作ってもらえば良いのではないのか」ということでした。

それからは、自分の本棚に並んでいる色々な本を見る目が変わってきました。すなわち、専門家に製本を頼むとするならば、どの本にするか、という観点から本を見るようになったのです。製本にはそれなりの時間とお金がかかりますし、誰に頼むか、ということも大きな問題となってきます。私の知り合いで製本をやっている人は極めて少なく、四、五名といったところでしょうか。

色々考えた末決めたのが、オランダのヨハン スーベラインさんから送っていただいた スロバキアの版画家故アルビン ブルノフスキーさんのオリジナル版画3葉が入った豆本『PISEN PISNI』の製本を、大家さんにお願いすることとしました。武者さんに聞くところによると、大家さんは個人的な製本依頼は受け付けないということでしたが、思い切ってお願いしたところ、快く引き受けていただきました。どのくらいの期間で出来上がったのか、今では忘れてしまいましたが、とにかくかわいくて、そして素晴らしい本として出来上がってきたのでした。はがき半分ほどの小さい本ですが、丸背のコーネル装で、用いられている革とマーブル紙の色は、挿入されている銅版画のインクの色に合わせたモスグリーンです。見返しは小豆色の絵具の流れに大小の灰色の玉が浮かんでいる模様のマーブル紙で、何ともいえない不思議さを感じさせてくれます。その下には、よく見ないと気付かないほど小さく「OHIE」と製本家の名前が入っています。これが私が初めて作っていただいた記念すべき本でした。2003年秋東欧旅行でスロバキアはブラチスラバを訪れた際、この本を持参しブルノフスキーさんの奥さんに見せたところ、「なんて素晴らしい本なんでしょう。私欲しくなって来たわ!」と、とても怖いことを言いながらも絶賛していただきました。私の自慢のルリユール第1号となりました。

近藤理恵さんとお会いしたのは、2000年6月の「東京製本倶楽部ルリユール展〈美しい本〉」会場の北沢ギャラリーでした。たくさんの素晴らしい作品が展示されている中を、時間を掛けてじっくり見ていましたところ『須永朝彦小説全集』が目に入りました。顔を近づけてまじまじと見入っていますと、この作品の製本家と思しき人が近づいてきて、丁寧に説明をしてくれました。後で知ったのですが、この方が近藤さんでした。

近藤さんとは後日、ひょんなところで再会することとなりました。大晦日の夜、大家さんの家に本好きが集まり、大家さんの手料理を肴にお酒を飲みながら歓談するという会があって、私も最近参加させてもらっています。2002年の大晦日に近藤さんもその会に出席され、1年半ぶりの再会を果たしました。歓談しているうちに、近藤さんにルリユールをお願いすることとなりました。

本は西村亡月王作品集『蛇蝎』です。この本は、いつか誰かにルリユールしてもらおうと、未製本の状態で西村さんから頂いていました。この本をルリユールするに当たっては、西村さん、近藤さんと私の3人が新宿の喫茶店「滝沢」に何回も集まって「あ〜でもない、こ〜でもない」と何度も議論しながら、表紙の皮の色や肌合いや種類、表紙のデザイン、糸の色等を決め、表紙と裏表紙には西村さんの鉛筆画作品のイメージを表す血管状の盛り上がりを作り、さらに西村さんのオリジナル鉛筆画を巻頭に入れ、これまたかなりの期間を要して出来上がりました。この本はまさに3人のコラボレーションの結果といったところでしょうか。これには作家西村さん本人も大いに気に入り、自分も1冊手元に置いておきたいようなそぶりでした。後日、2005年10月彼の個展会場にこの本を持参したところ、西村さんの希望が大変強いことから、近藤さんにもう1冊ルリユールしてもらうこととしました。今回は、西村さんと近藤さんとのコラボレーションとなります。

このようなコラボレーションの面白さは本好きには堪えられません。癖になりそうでコワイという感じです。その後、近藤さんには小川国夫著『藤枝静男と私』、北辻良央著『独楽』、鹿鳴荘刊『R』、山本芳樹著『エロス幻想』等のルリユールをお願いしています。これらの本の中には、坂東壮一さんの手彩色蔵書票を挿入してもらっているものもあります。こうして私のお気に入りの本が次第に増えていくことは喜ばしい限りです。

現在進めているのが、マンディアルグ作・生田耕作翻訳・アルフォンス イノウエ挿絵『満潮』のルリユールです。これは本文中挿絵のオリジナル銅版画5葉のほかに、1974年発行当時、挿絵以外に『満潮』用として井上さんが制作しておられた8葉を加え、さらに肉筆彩色絵とコラージュを各1葉のほか、本文余白に井上さんの直筆絵もいれたもので、かなり内容が豪華な本になりそうです。この本のために井上さんに作っていただいた銅版画手彩色蔵書票が巻頭を飾るのはもちろんのことです。この企画は3年以上前に大家さんに相談し、色々助言を頂きながら準備を進めてきたもので、ルリユールはもちろん大家さんにお願いしています。2006年末には完成する、というお話ですので、大いに楽しみにしているところです。

このほか、柄澤齊さんと岡田隆彦さん共著の詩画集『植物の睡眠』、新潮社版 A. デューラーの『黙示録』、A. ブルノフスキーさんのオリジナル銅版画集『SNY』、アルフォンス イノウエさんの『ベル・フィーユ』など、ルリユールを待っている作品がたくさんあります。『ベル・フィーユ』は2003年発行元の奢灞都館から未製本を2部分けて頂き、アルフォンス井上さん用と私用を作ることにしました。手彩色蔵書票や肉筆画のほか中表紙や各章の前にオリジナルの版画を綴じ込んだかなり豪華な内容となります。この企画をアルフォンスさんに話して同意を頂いて既に2年半が過ぎようとしていますが、少しずつですが準備は整いつつあり、間もなく材料が揃うでしょう。その後は製本家にすべてお渡しして、ルリユールしてもらうだけとなります。1冊のルリユール本が出来上がるのに、なんと長い時間がかかることでしょうか。しかし自分が納得するような本を作ってもらうには、根気が要ります。短気ではこのような贅沢は出来ないと思っています。

今日もまた、あのビデオを見てしまいました。1996年12月22日、NHKで放映された日曜美術館「書物のユートピア・美しい本を求めて」です。今や伝説となっているような本に関する話や直接手に取って触りたくなるような、あるいは自分の書棚に飾っておきたいような美しい本、限定本がたくさん出てきて本好きには堪えられない番組です。
このビデオを、これまでに何回見たことか。限定本の世界については、この番組の中で柄澤さんが「限定本とは人知れず作られて、人知れず人の手に渡る陰湿な世界と思われているが、自分の手で自分が所有し、自分がめくる喜びというものを知らない人には所詮無縁の世界である」とお話しされ、さらに東京製本倶楽部会報第24号と第25号でも詳細に述べておられます。

私にとっての限定本は嗜好品です。柄澤さんの「……もっともっと本キチガイよ出でよ。……」のアジテーションに応えて出てきたわけではありませんが、本が好きで好きで堪らなくなってしまったのですから仕方がありません。なぜ本が好きなのか、なんてバカな質問はしないで下さい。本を好きになるのに理由なんて必要ありません。理屈抜きに私は本が好きなのです。しかし、奥さんから文句ばかり言われている大の本好きが、そのしつこさに堪忍袋の緒が切れて、「お前は文句ばかり言うけれど、本は一言も文句を言わない」と言って離婚した話がありますが、私はいまだ未熟者でそこまでの境地には達していません。家族のために働くと同時に、本のために働くことが、私の現在の生き甲斐なのです。これからもルリユールの世界を満喫していきたいと思っています。

江副 章之介

初出『黄金の馬車』Vol.12啓祐堂 2006