江副章之介さんが育った長崎県島原市の家は、そのお隣が本屋さんだった。物心ついた頃から書店で過ごし、『少年』や『少年クラブ』などの雑誌や宮沢賢治の本を読みふける彼は、大層な本好きへと成長した。
30代の時、「蔵書票」という美術世界を知る。図案の中に依頼主の名前とお好みのモチーフが盛り込まれた小版画だ。日本では古来、蔵書印が使われてきたが、欧米では本の所蔵者を示すのに、お名前カードともいうべきこの蔵書票を本に貼ることが行われた。
江副さんは30代後半に初めて蔵書票を制作してもらって以来、63歳を迎えた現在までに92点の自分の蔵書票を有する。蔵書票は特注のオリジナル版画のため、本には貼らずに交換蒐集して楽しむ人が多い中にあって、江副さんはあくまでも愛蔵書に貼ることにこだわる。
学生時代に映画で親しんだことから、今も愛読するのがギリシア悲劇の本。オイディプスやエレクトラなどを題材に、主に海外の版画家に蔵書票を作ってもらい、本の見返しに貼り込んでいる。また、30年来、居を構える横浜の、名所旧跡にちなんだ蔵書票は、横浜が登場する小説本に。「山高登さんの木版蔵書票は、和紙摺りで厚みがなく、サイズも小さいので本に貼るにはうってつけです」と江副さん。
本好きの江副さんが、製本家の人たちと交流するようになったのは、50代になってからである。お気に入りの小川国夫著『藤枝静男と私』を製本家の近藤理恵さんに革装本として制作してもらうにあたっては、手の込んだ革モザイクの表紙や函を作るだけではなく、坂東壯一さんの手彩色蔵書票を本の中に綴じ込んでもらった。ただ単に本の見返しに貼るのとは違って、書物本体の一部として納めることで、蔵書票は口絵のような存在と化して本に付加価値を与える。
マンディアルグ著『満潮』は、翻訳者・生田耕作の旧蔵本を入手したことから、挿画を描いたアルフォンス井上さんの蔵書票を綴じ込んで特装本を作ろうと考えた。できれば他の版画も入れたいとアルフォンスさんの神戸のアトリエを訪ねたところ、本書のために作られた、未収録版画が多数あることが分かった。そこで全部の版画と蔵書票も制作してもらい、製本家の大家利夫さんに2冊本として仕立ててもらった。
どの本にどんな蔵書票や版画を入れ、さらにそれをどの製本家に頼むか。市販本とは別の、世界にたった1冊の書物を作り出すという、これは江副さんならではの究極の趣味である。
版画家や製本家と交流し、作品のイメージで語り合うことで、次なる書物創作のアイディアが生まれる。現在進行中の企画は、アルフォンスさんの好きな詩とオリジナル版画15点からなる詩画集だという。一愛書家の蔵書票愛好が嵩じて、ついには私刊本出版へ。―――版画を楽しむ方法は、これほどまでに多彩なのである。
田中栞
『版画芸術』137号 阿部出版 2007 掲載